2011/09/28

お誕生日会

昨日、ゆずりはで利用者Aさんのお誕生日会を開きました。
Aさんが16歳の頃あすなろ荘に来てからのお付き合いで、かれこれ8年…
24歳のお誕生日をお祝いしました。

Aさんのパートナー、他利用者の方含め総勢9人でのお祝いの会。
キャンドルを囲んでそれぞれメッセージを伝えあいました。

出会った子どもたちの存在は、私がこの仕事を続けていく力の源です。

彼(彼女)らが生きる姿を通して、社会的養護に必要とされる支援が何かを学ぶと共に、人が本来持つ生きる力や、成長する力をいつも教えられています。

誕生日を共に迎えて、
『生まれてきてくれたことをありがとう
生きてきてくれたことをありがとう
出会えたことをありがとう』
と心からの思いを伝えられることに感謝します。




                      












皆もお料理手伝ってくれました















照れながら、一言ずつメッセージ



お誕生日おめでとう!!!

2011/09/26

折り合いをつける

秋が日に日に深まっていきます。
触れる空気があっという間に変わりました。
空もどんどん高くなっていきますね…
秋は私の一番大好きな季節です。

私が日々の支援でいつも忘れずにいたいと思うことのひとつに
「相反する気持ちは共存する」ということがあります

相手との関係において
想いが強ければ強いほど
関係が深ければ深いほど
身近であればあるほど
人は混乱したり、悩んだりするように思います。


日々の支援のなかで、親や家族への気持ちを整理できず苦しんでいる方に
「両方の気持ちがあって大丈夫だよ」と伝えることを大切にしています

憎む気持ち、怒る気持ち、怖れる気持ちでいっぱいでありながらも
一方で強く求める気持ち、焦がれる気持ち、期待したい気持ち…

否定したいのに、一番に認めてほしいと願うこと…


それらが共に心にあることは矛盾することでしょうか?

私は全くそう思いません。

親や家族への思いは白黒はっきりつけることはとても難しいと思います
好きか嫌いか、認めるか認めないか、許すか許さないか
決着をつけてもつけても、つけられない。決着がつかないのが親子の関係だと思います
それよりも、どう折り合いをつけていくかが重要なのではと思います

家族への思いに折り合いをつけることで、悩み苦しんでいる方の心が少しでも楽になったらと、なってほしいと願ってやみません
もちろん“折り合いをつける”ことがどんなに難しいことかも、私たち支援者は忘れてならないと思います



相反する気持ち、様々な思いを抱えながら、折り合いをつけていく。


明確な答えも道しるべも提示できませんが
それでも、今日という日を生きて行く力に、つながりますように。

2011/09/20

命を肯定する 2

大きな台風が過ぎていきました
つい数時間前までの嵐のような天気が信じられないくらいの穏やかな夜です
秋の虫たちの声も聞こえてきます


先日、書かせていただいたブログ「命を肯定する」に色んな方からご感想をいただきました。私の拙い文章から、私がお伝えしたかった以上の思いを汲み取っていただき、また、何度も反芻したくなる心に迫る言葉を返していただきました
このブログを皆さんが大切に読んでくださっていることが伝わり、本当に嬉しく感謝しています


いただいたご感想のなかから、是非皆さんと共有させていただきたいメッセージを小矢真弓さんからいただきました。真弓さんとは、私があすなろ荘の活動をお話させていただいた学習会で出会いをきっかけにご支援・ご助言等いただいています。
今回、真弓さんの言葉を転載させていただくことをご快諾していただきました。
真弓さんもまた大変な子ども時代を生き抜いてこられ、ご自身の力で「生きる意味」を見いだしてきた方です。彼女の放つ言葉にある重み・説得力・強さと優しさに、私はいつも力や勇気をもらっています。
一部の転載となりますがご了承ください


…………………………………………以下転載………………………………………………


親にとっては、子どもが生まれてきてくれた意味を。
子にとっては、自身が生まれてきた意味を。
それぞれが見出しながら、信頼を作り、絆を繋いでいくのだということ。

命の意味は、動物でも人間でも、ただ一点。
脈々と太古から進化しつつ続いてきた「命」そのものを繋ぐこと。

必ずしも親でなくていいのだと思うのです。
人間は社会的な生き物なので、本当に大きな意味で、皆で社会を、
老人から子どもまで支えあって、それぞれができることをしながら生きていけばいい。 

私は、お腹がすいている人を見るのが嫌いで、ご飯を食べさせたくてたまらなくなるので、
お年寄りが常に飴を持ち歩いていて人に配っている理由がわかるようになりました。

生きてるだけで、いいんです。
何かにならなくても、特別な存在じゃなくても。そう感じています。


…………………………………………………………………………………………………………
 
真弓さんは「信頼をつくり、絆を繋いでいくこと」が「命」に繋がるのだと伝えてくれました。とてもまっすぐで、力強い言葉です。


真弓さんはじめ、辛く厳しい子ども時代を生き抜いてきた子どもたちには皆、理屈でもキレイ事でもない「命」への強い信念と生きることへの真摯さを感じずにはいられません


それは「命を肯定する」という命題をいつも心のなかに持っているからではないだろうかと感じます
 
生きづらさを抱えさせられ生きている・生きてきた人は誰よりも生きることに一生懸命で必死なのだと思います。
一生懸命に生きることは、それは時にとても苦しいこと


「命を肯定する」簡単なことじゃない  一生をかけての作業かもしれない


でも、今日この夜。
皆が、あなたが、安心して眠りにつけることを 今ここから心より祈っています


今日という日を あなたがちゃんと生きたことを肯定して 安心して休んでください


2011/09/19

命を肯定する

9月も後半をむかえたのに、残暑厳しい毎日が続いていますね。
それでも、朝晩は初秋のすずやかな空気を感じます。

今日はゆずりはは閉館日でしたが、相談依頼を受け出張面会と、講演会に参加してきました。

参加した講演会のお話を少し書かせていただきます。
ゆずりはを支援してくださっているMさんのご紹介で、愛知県岡崎市にある吉村医院(映画監督川瀬直美さんの作品「玄牝」の舞台にもなっています)という自然出産でとても有名な病院で助産婦をされておられた岡野眞規代さんの講演会に参加させていただきました。

岡野さんは自然出産をとおしてみえる、現代社会についての在り方、日本人が古来もつ感性や美意識の素晴らしさ、命について語られ、2時間のお話のなかに笑いあり、涙ありの一言では語り尽くせないたくさんのエッセンスのつまったお話でした。

私はお話を聞いている間ほぼずっと泣いていました。
感動や喜びや気づきの涙ではなく、自分が岡野さんの話を消化しきれない涙といってもいいかもしれません。
あすなろやゆずりはで出会った皆に思いを馳せると涙が止まらず、どういう理由での涙なのか自分にも説明のつかない涙があとからあとからでてきました。


私が社会的養護の現場で出会った子どもたちの多くは
「自分なんか産まれてくるんじゃなかった」「自分なんか生きる価値なんかない」と思ってきた(思いこまされてきた)子どもたちです。
私たちの想像を絶するような家庭環境で生きなければならなかった子もいます。
生まれてすぐ乳児院に預けられた子もいます。
親の顔も名前も知らない子もいます。

その子たちに「あなたが生まれてきたことには意味がある」という類の言葉は
今の私には言えません。そう言いきるだけの、子どもたちを納得させられる考えや哲学を持ち得ていないからです。
また「子どもが親を選んで生まれてくる」という言葉も私には言えません。
私に言えるのは、「選んでもいないし、選ばれてもない、どうであれ、あなたの命が、すべての命が尊いものであることに間違いない」ということのみです。


岡野さんは吉村医院でのお産をとおして学んだという、「命の本質」についてもわかりやすく率直に語ってくれました。
「命は受けいられて輝く」
「命がふくよかになる」
「命をいいかたちで連鎖させる」
…お話してくださるどれもが心をゆさぶられるエピソードばかりでした。



私は家庭環境に恵まれなかったり、親から暴力を受けたり、存在をも否定されてきた子どもたちに寄り添い支援する立場の者として、
「生まれた瞬間がどうであったか」をこだわることが出来ません。
「どこでどんなふうに生まれて、お母さんはどんな思いであなたを生んだか」
とてもとても大事なことだけど、そこにこだわりきることが出来ません。
お母さんにおむつを交えてもらったり、おっぱいをもらったりそんな経験も皆無の子たちに
「お母さんに感謝する」ことも安易には伝えられません。


今の私に出来ることは、出会ってきた子どもたちに「あなたに出会えてよかった、生まれてきてくれてありがとう」ということを私自身が心から伝えることのみです。
あすなろ荘やゆずりはを通して出会えたことに心から感謝して、私たちが目の前にいる子たちの命を全身全霊で肯定したいと、肯定し続けたいと思います。


すべての子どもたちが「自分の命を肯定できる」そんな社会にしたい


岡野さんのお話であふれるほどのいろんな思いを感じさせてもらいました。
ありがとうございました。